「壊れたら捨てろ」からの脱却。エコデザインとリペアを巡る日本の法制度を俯瞰する

2026年8月26日 更新

著者:合同会社オフィス西田 西田 純

今回本欄で取り上げるのは、エコデザイン、リデュース、Eコマース、そしてリペア・メンテナンス(長寿命化)という、いずれもサーキュラーエコノミー(以下、CE)の中核をなす論点でありながら、日本ではどこか進みが鈍いと感じられてきた領域です。

問いを一つ、あらかじめ立てておきたいと思います。CEが本来めざすところの、製品を長く使い、壊れたら直して使い続けるという発想が、なぜ日本では根づきにくいのか――この問いに、技術や消費者意識ではなく、法制度の構造という角度から光を当ててみようというのが本稿の狙いです。

結論を先取りするようですが、日本の制度はあらゆるところで「壊れたら捨てろ」という絶対命題に傾いているのではないか、という課題感を軸に据えて話を進めてまいります。

エコデザイン規制の現在地――設計を変えさせる法律は動き出したか

まず押さえておきたいのは、日本にもエコデザインを促す法律がすでに存在し、しかもこの一年で大きく動いたという事実です。
中心にあるのは資源有効利用促進法であり、2025年5月28日に改正法が成立して同年6月4日に公布され、2026年4月1日から施行されました。GX推進法と一体の法案として提出されたこの改正は、再生材の利用義務化、環境配慮設計の促進、GXに必要な原材料等の再資源化、そしてCEコマースの促進という四つの柱からなり、そのうち設計に関わるのが環境配慮設計の強化です。

現行法はもともと環境配慮設計を進めるべき製品を50品目ほど指定してきましたが、今回の改正では、とりわけ優れた設計の製品を国が認定する制度を新設し、全体の底上げを図ろうとしています。

ここで注目したいのは、その「環境配慮設計」の中身に、修理の容易化――部品を交換しやすくし、モジュール構造を採り入れるといったリペアビリティの発想――が正面から書き込まれた点です。
あわせて、省資源設計や解体・分別が容易な設計も求められており、製品がどのような資源・素材で作られているのかを明らかにさせる、いわば開示の考え方も芽を出しつつあります。
設計の段階で長く使えるように作らせ、なおかつ中身を見えるようにするという方向性そのものは、EUが2024年6月に公布した持続可能な製品のためのエコデザイン規則(ESPR)や、そこに組み込まれたデジタル製品パスポート(DPP)の思想と、確かに響き合うものだと言ってよいでしょう。

もっとも、「書き込まれたこと」と「根づくこと」のあいだには、なお相応の距離が横たわっています。
EUのESPRが耐久性や修理可能性に関する情報の開示を製品の市場流通の条件そのものとして課そうとしているのに対し、日本の環境配慮設計はなお促進と認定という誘導型の枠組みにとどまっており、設計を変えなければ売れないという水準の強制力には至っていません。
制度が動き出したことは率直に評価しつつも、それが実際に長寿命化を後押しするところまで届いているかと問われれば、答えはまだ留保つきだと申し上げるほかありません。

リペアを阻む「資格」という関門――直せる人がいないから捨てる

さて、仮に設計の側で修理しやすい製品が増えていったとして、それだけでリペア・メンテナンスが回り出すかというと、話はそう単純ではありません。
日本には、点検や保守という行為そのものに免許・資格を密接に絡めてきた、独特の制度の積み重ねがあるからです。その典型が電気の世界です。

電気工事士法は1960年(昭和35年)に制定された古い法律ですが、1987年(昭和62年)の改正によって、それまで誰でも従事できた500キロワット未満の自家用電気工作物の工事についても、第一種電気工事士の免状がなければ手を触れられないこととされました。
さらに電気事業法は、自家用電気工作物の設置者に対し、保安規程の作成と電気主任技術者の選任を義務づけています。

こうした資格制度には、感電や火災といった深刻な事故から人命を守るという、正当で切実な目的があることは論をまちません。しかしながら、目的が正当であることと、制度が現在の姿のままで最適であることとは、必ずしも同じではないはずです。

有資格の技術者が慢性的に不足すれば、直せるはずの設備が、直せる技術がないからではなく、直せる資格を持つ人手が足りないという理由で放置され、やがて更新――つまり廃棄と買い替え――へと押し流されていきます。
経済産業省自身が電気保安人材の確保を課題として繰り返し議論していることが、この構造が絵空事ではないことを裏づけています。

長寿命化を阻む隘路が、技術でも資金でもなく「(免許制度のせいで)直せる人がいない」という一点にあるという事実は、循環経済を語るうえで重く受け止めるべきでしょう。

同じ構図は電気に限りません。消防法は第17条の3の3に基づき、建物に設けられた消防用設備等について、機器点検を半年ごと、総合点検を年に一度行うことを義務づけ、消防設備士や消防設備点検資格者といった有資格者による点検を実質的に求めています。

ここで立てておきたいのは、複雑に張り巡らされた免許・資格の網は、本当にそのすべてが安全のために不可欠なのか、それともどこかで既得権益と化してはいないか、という問いです。
安全という誰も否定できない大義のもとで、参入の間口を狭め、有資格者の希少性を保ち続ける仕組みが温存されているとすれば、それは結果として、直せるものを直させず、捨てさせる方向に働いてしまいます。

法定点検のあり方――点検すれば壊れないのか

免許と隣り合わせにあるのが、法で定められた点検義務、いわゆる法定点検のあり方です。
現場に近い方ほど実感されていることと思いますが、この法定点検は品目や設備によってあったりなかったりと一貫せず、しかも点検をしたからといって壊れるものが壊れなくなるわけではない、という素朴な感覚が根強く存在します。
もちろん、定期的に手を入れることで故障の芽を早く摘み、稼働率を保つという点検本来の効用を否定するつもりは毛頭ありません。

問題は、点検を法で義務づけるという要件が、ときとして安全確保よりも、点検を担う側の仕事を制度的に確保する――すなわち既得権益を保護する――ための仕掛けに見えてしまう場面がある、という点にあります。
点検してもなお壊れるものは壊れるのだとすれば、その点検義務は誰の何を守っているのか。
この問いを避けずに正面から検討することは、決して安全を軽んじることではなく、むしろ限られた保安人材を本当に必要なところへ振り向けるための、健全な問い直しだと考えます。

「長寿命化させない」構造――更新需要が制度に埋め込まれている

ここまで見てきた資格と点検の話は、より大きな構造の一部にすぎません。
日本の法体系、とりわけ経済産業省系の制度は、結果として長寿命化や修理を促さない――むしろ更新需要を掘り起こす――方向で作り込まれてきた面があるように思われます。

最も分かりやすい例が自動車です。自動車税や自動車重量税には、新車登録から一定の年数を超えた車ほど負担が重くなる重課の仕組みが組み込まれており、ガソリン車であれば13年を超えたあたりから自動車税がおおむね15パーセント増し、重量税に至っては4割近く引き上げられます。
名目上は環境性能への配慮ですが、実態としては、古い車に乗り続けることに経済的な罰を課し、買い替えへと背中を押す装置として働いていることは否めません。

「長く使わせない」構造の全体像|「壊れたら捨てろ」からの脱却――エコデザインとリペアを巡る日本の法制度を俯瞰する

そして、こうした更新需要を促す仕掛けは、自動車に限らず、継続して稼働する多くの設備に程度の差こそあれ埋め込まれています。
それらは自然発生的にそうなったというよりも、更新需要を必要とする産業界の要請やロビイング活動の積み重ねが、時間をかけて制度へと結晶した結果でもあるのでしょう。
長く使えることが本来は美徳であるはずの領域において、長く使うことに不利益が生じるよう設計が組まれている――この倒錯こそ、「壊れたら捨てろ」というフレームワークの正体だと私は見ています。

政策史のベクトル――リサイクルに偏り、いまリユース・リデュースへ

なぜこうした構造が温存されてきたのかを理解するには、2000年の循環型社会形成推進基本法までさかのぼるのが近道です。
同法は、リデュース(発生抑制)、リユース(再使用)、リサイクル(再生利用)という優先順位を国の方針として明示しました。ところが、その後に実際に投じられた政策リソースは、個別リサイクル法群の整備に象徴されるように、優先順位としては最も低いはずのリサイクルに大きく偏っていったというのが、率直な歴史認識ではないかと思います。

より上位に置かれたリユースとリデュースは、制度設計の手当てが薄いまま置き去りにされ、その空隙を埋めたのはむしろメルカリに代表される民間のプラットフォーマーたちでした。
国が号令をかけた優先順位と、国が実際に手をかけた領域とが、見事にねじれていたわけです。

政策のベクトル|「壊れたら捨てろ」からの脱却――エコデザインとリペアを巡る日本の法制度を俯瞰する

しかし、現在のベクトルは明らかに変わりつつあります。
日本にとって資源政策の重みをまざまざと思い知らせた出来事として想起されるのは、2010年9月、尖閣諸島沖の漁船衝突事件を契機に中国からのレアアースの対日輸出が事実上止まり、自動車や電子部品をはじめとする基幹産業が、ネオジムをはじめとする不可欠な資源の供給不安に一斉に見舞われた一件でしょう。特定の国への資源依存がいかに脆いものであるかを突きつけられたこの経験を一つの原点として、資源循環は単なる環境政策にとどまらず、経済安全保障の課題としても捉え直されるようになりました。

2023年9月に発足したサーキュラーパートナーズ(CPs)が2025年12月時点で800を超える会員を擁するに至り、政府がCE関連市場を2030年に80兆円規模へ拡大する目標を掲げていることは、その象徴です。
資源を確保したい国という文脈に立てば、「本当にリサイクルだけでよいのか、上流のリユース・リデュース、そして長寿命化にこそ手を打つべきではないか」という問い直しが、いよいよ現実味を帯びてきたと言えるでしょう。

日欧の発想の違い――「修理させる権利」と「点検させる資格」

この文脈で、EUと日本の発想の違いに触れておくことには意味があると思います。EUは2024年、ESPR(Ecodesign for Sustainable Products Regulation、Regulation (EU) 2024/1781)と並んで、いわゆる「修理する権利」指令(Directive 2024/1799)を採択しました。これは、保証期間を過ぎた製品であっても、消費者がメーカーに対して修理を求めることができるようにし、メーカーの側に合理的な期間と価格での修理を義務づけるという、消費者の側から長寿命化を駆動する発想に立っています。加盟国は2026年7月末までに国内法化することとされており、修理を「消費者に認められた権利」として制度の中心に据えている点が際立ちます。

ひるがえって日本の制度を眺めると、その重心はむしろ、誰が点検・保守を行ってよいかを資格で厳しく画するところ、いわば「点検させる資格」の側に置かれているように見えます。片や消費者の修理する権利を軸に据え、片や有資格者による点検・保安を軸に据える。

日欧の発想の違い|「壊れたら捨てろ」からの脱却――エコデザインとリペアを巡る日本の法制度を俯瞰する

この重心のずれこそが、日欧のエコデザインを巡る制度設計の思想的な分水嶺なのだと思います。
もっとも、EU側の資格・点検制度が実際にどう組み立てられているのかについては、なお私自身が調べ切れていない部分が残っており、ここは軽々に断ずるべきではないと留保しておきます。

結び――制度をオープンに整備し直せば、長寿命化は進む

最後に、この俯瞰から見えてきたものを私なりに整理しておきます。
エコデザイン規制がようやく動き出した一方で、リペア・メンテナンスの現場では資格と点検の制度が関門となり、税制には更新需要を促す仕掛けが埋め込まれ、政策史はリサイクルへの偏りを引きずってきた――これらは一見ばらばらの論点に見えて、「長く使わせない」という一本の糸で通じ合っています。だとすれば、打つべき手もおのずと見えてきます。

複雑に絡み合った免許・点検・資格の制度を、いったんオープンな場に開いて、本当に安全のために必要なものと、既得権益として温存されてきたものとを腑分けし、整備し直すことができれば、エコデザインとリペア・メンテナンスは今よりずっと前に進むはずだと考えます。

性能を長く維持できることは、そもそも日本のものづくりが世界に誇ってきた強みにほかなりません。
資源を確保したい国として舵を切ろうとしている今こそ、まさにこの強みが活きる領域――長寿命化とメンテナンス――にメスを入れるべきではないでしょうか。
忘れてはならないのは、リサイクル事業者自身もまた設備のユーザーであり、メンテナンスによって稼働率と稼働時間を高めることが、そのまま自らの収益につながるという事実です。
長寿命化は、環境か経済かという二者択一ではなく、循環経済に関わるすべての当事者にとっての実利として立ち現れます。


著者プロフィール

合同会社オフィス西田 チーフコンサルタント 西田 純

脱炭素と循環経済をおカネに変えて成長につなげる方法論の第一人者。産学連携・企業間連携による循環経済モデルの実践と増客を様々な事例で実現し、環境ビジネスを中心としたクライアントから高い評価を得ている。国連工業開発機関UNIDOに職員として16年勤務、多国間環境条約に関わる技術協力事業に多数関わる。国連を介した環境協力の実態や国際交渉の裏側をつぶさに見聞した経験に基づき、サステナビリティ実現のための「思想設計力」が持つ価値の重要性を訴えている。UNIDO公認フィージビリティスタディトレーナー。


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